取り組み開始から20年の節目を迎える2025年に、大阪・関西万博での採用が決まった食材表示ツール「フードピクト」。
開発者であり株式会社フードピクト代表取締役の菊池信孝と、開発当時からデザインに携わる株式会社NDCグラフィックス取締役でデザイナーの中山典科氏に、フードピクトの開発プロセスやピクトグラムに込めた思い、これからの期待について、インタビュアーの松岡真季が伺いました。
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菊池 信孝
株式会社フードピクト代表取締役
1986年 大阪生まれ。2009年 大阪大学外国語学部卒。2023年 東京藝術大学美術学部 Diversity on the Arts Project 修了。デザインとアートを使った課題解決と価値創造に取り組む。
好きな食べ物はカレー風味のマカロニサラダ
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中山 典科
株式会社NDCグラフィックス取締役、デザイナー
1969年 大阪生まれ。1988年 大阪市立工芸高校図案科卒。1990年 大阪市立デザイン教育研究所卒業と同時に日本デザインセンター入社。1993年NDCグラフィックス設立に参加。標準案内用図記号やフードピクトの作成に携わる。
好きな食べ物はアイスクリーム
― 学生時代の苦い経験から着想を得たフードピクト
松岡 フードピクトは菊池さんが大学生の時に、イスラム教徒のゲストを日本の食事で上手くもてなすことができなかった経験から生まれたんですよね?
菊池 はい。外国語大学に通っていたので、様々な国の留学生と食事をする機会がありました。その中でベジタリアンやイスラム教徒の留学生と食事に行く際に、一緒に食べられるお店を見つけられなかったり、店員に確認してから注文したのに食べられない食材が入っていたりと困ることがありました。このようなおもてなしの失敗を2005年に経験したのが、フードピクトの取り組みをはじめるきっかけでした。
― アイデアを形にするためにピクトグラムで実績豊富なNDCグラフィックスへ
松岡 フードピクトの開発協力をお願いするためにNDCグラフィックスさんに伺ったと聞きましたが、お互いの第一印象は?
中山 最初にお会いしたのは、菊池さんが我々のオフィスに来てくれた2009年だったと思います。若いのに色々な経験をされていて、食の問題を解決する手段として「ピクトグラム」を採用されたことに驚きました。ピクトグラムは身近にあるけれど、特殊なデザインのツールなので、そこに結びつけたのがすごいと思ったのが最初の印象です。
菊池 学生時代にアイデアを思い付いたフードピクトを国際規格にするために相談に伺いました。いざオフィスに入ると、クリエイティブな空間に様々な作品や活版印刷の大きな機械があり、さすがデザイン会社だと感じました。中山さんはモード系のスーツを着こなしておられ、とにかくおしゃれだと思ったのが第一印象でした。
― デザインディレクター中川憲造との出会い
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菊池 最初は、当時のNDCグラフィックスの代表でデザインディレクターの中川憲造さんとデザイナーの中山さんに対応いただきました。
中山 菊池さんからすると、中川の印象は少し怖かっただろうと思います。派手なネクタイを付けて、大きな声の関西弁で対応していたので。最初の彼のディレクションがあってのフードピクトでしたね。
菊池 中川さんはオーラのある方だったので、最初の打ち合わせでは緊張しながらフードピクトのコンセプトを説明しました。デザインを引き受けてくださるかわからない状態で、ピクトグラムの制作実績が豊富なNDCグラフィックスへの相談だったので、気合いが入っていました。
中山 まずはお話を聞くことから始めるのが中川のスタイルです。我々の仕事は、何かを作りたいけど自分たちでは解決できない、そういう困っている人と一緒にデザインで問題解決するというのが第一にあります。菊池さんの説明から熱意が伝わって、快く一緒にやりましょうとなったのだと思います。
― 誰もが目にする標準案内用図記号をベースに作ったフードピクト
松岡 具体的には、どのようにフードピクトをつくっていったのですか?
中山 菊池さんからは標準案内用図記号の食べもの版を作りたいと提案いただきました。標準案内用図記号は、駅や空港などの公共空間で使用されているトイレやエスカレーターなどの、誰が見ても一目で内容がわかるマーク(ピクトグラム)のことです。弊社がつくった標準案内用図記号は、いまやJIS(日本産業規格)になり、そのうちのいくつかはISO(国際標準化機構)にも登録され、世界中で使用されています。
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― 「おいしい」ピクトグラムへのこだわり
松岡 フードピクトは形や色合いも素敵ですよね。
中山 「おいしいピクトグラムを作ろう」というのが、フードピクトの最初のコンセプトです。誰にでも伝わる標準案内用図記号をベースにつくるとはいえ、食に関わるものだから見た目にも「おいしい」ものにしなくてはならない。これが中川の最初のディレクションでした。
例えば、形に関しては、四角ではなく丸みを帯びたスーパー楕円という外形を使っています。また色に関しても、誰が見てもわかりやすいというポイントを押さえながら、牛や豚などの図形はカレーやシチューなどの煮込み料理の茶色に、背景はカスタードクリームのような色にして、美味しい色を表現しています。
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― 世界1500名に調査してフードピクトをよりわかりやすく
松岡 フードピクトを国際的に通用するものにするために、様々な国や地域の1,500名に理解度・視認性・必要品目に関する調査をされたと聞いています。
菊池 はい、当時は無料で使えるオンライン調査ツールがほとんどなかったので大変でした。標準案内用図記号の制作プロセスを解説した本に、理解度や視認性の調査手法が掲載されていたので、それを参考に調査を実施しました。当時はA4のコピー用紙に調査票を印刷して、様々な世代の日本人750名と、20数カ国の外国人750名に回答してもらいました。
特に外国人の回答者を集めることには苦労しましたね。留学生が多くいる専門学校や、外国人スタッフがたくさん働いている会社の社員寮、さらには海外に留学している知り合いに調査票を国際郵便で送り、現地で回答してもらったものを送り返してもらうような泥臭いやり方で調査を重ねました。今では考えられないようなアナログな作業でしたね。
― 文化や地域の違いも超えたデザインに
松岡 開発に苦労したフードピクトはありますか?
菊池 乳製品のピクトグラムは苦労しました。最初は牧場で使われる集乳缶をデザインしましたが、世界1,500名の理解度は70%と低調でした。そこで牛乳パックのデザインに修正して理解度は80%台に向上しましたが、世界には牛乳パックを使わない国や地域があることも分かりました。
最終的には昔から世界各国で流通に使われていたビンに牛を描くことで、90%台に上げることができました。ピクトグラムは言葉を越えて伝えるツールですが、言葉だけでなく文化や地域の違いも超える必要があることを学びました。
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― フードピクトは時代に合わせて変化している
菊池 また新たにアレルギーの表示推奨品目に指定されたマカダミアナッツをフードピクトに追加した2024年には、いまの消費者の感覚をデザインに反映できるように、全てのフードピクトの理解度調査を再度実施しました。
松岡 以前の調査と比べて理解度が変化したフードピクトはありましたか?
菊池 今回の調査結果を踏まえ、ゼラチンのデザインを微修正しました。もともとゼリーの金型のような表現をしていましたが、最近のカヌレブームの影響か、カヌレという誤回答が目立ってくるようになりました。そこで、型に入れて焼き上げるカヌレではなく、プリンやゼリーのように重力に負けて、たるみ始めている表現を足していただきました。
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中山 原型がイメージしにくいものの理解度を上げることに苦労しました。ゼラチンの他にも、同じナッツ類でもアーモンドや落花生は頭に思い浮かびますが、マカダミアナッツと言われても想像しにくいですよね。原型を見て描いてみても、調査をすると栗に見えるなどの色々な意見があり、理解度を上げるためにシワを足すなどの試行錯誤を繰り返しました。
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― 類似のピクトグラムの出現による変化
松岡 多様な食文化や習慣への対応がますます求められる時代となり、フードピクトに類似した商品やサービスも増えてきましたね。
菊池 はい、最初に出てきた時は正直なところ焦りの気持ちがありました。ですが振り返ってみると、フードピクトしかなかった時代は食材をピクトグラムで表示する手法はまだまだニッチな取り組みで、国際空港やコンベンションなどの国際色が高いところでないと意義が伝わりにくいものでした。一方で競合商品が出てきたことにより、食材のピクトグラム表示が広く浸透したように思います。そういう意味ではライバルとして切磋琢磨しながらも、ともに市場を形成してきた仲間という捉え方もしています。
中山 類似商品を初めて見た時の印象は、我々の方がしっかりと考えて作っているように感じました。ピクトグラム一つ一つの完成度と全体のバランスを見れば、フードピクトの方がまとまっているだろうという自信はありました。
松岡 デザインとしてまとまるとは?
中山 ピクトグラムは一つの書体であると考えています。例えば、皆さんが普段使っている書体にも、ゴシック体や明朝体がありますよね。それと同じようにピクトグラムも「絵文字の書体」みたいなものだと思っています。だから、ピクトグラムの中で牛、大豆、ゼラチンといった異なるものを描くときも、同じ書体で統一する必要があります。
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例えば、牛を明朝体っぽく、大豆をゴシック体っぽく描いてしまうと、全体的にバラバラな印象を与えてしまうんですよね。もし「フードピクト」という書体があるとしたら、その中でデザインの骨格や雰囲気を揃えて作れば、全体がしっかりとまとまった仕上がりになります。それによってピクトグラムとしての統一感が生まれ、見る人にもわかりやすくなります。
― 誰もが安心して食事を楽しめる世界を目指して
松岡 大阪・関西万博での採用も決まり、出店する飲食店のメニューにフードピクトが掲載される予定です。
中山 万博はまさにフードピクトが活躍するイベントになると期待していますよ。菊池さんがフードピクトの取り組みを開始した当初の思い「誰もが安心して食事を楽しむ」が実現するいいチャンスだと思います。これまでも国際会議等で効果的に使われていると感じていたので、万博でも多くの場面で使われて海外の人にも評価されるものであってほしいなと思います。
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菊池 中山さんにおっしゃっていただいた通り、フードピクトをつくる最初の出来事から思い描いてきた理想的な状態が、まさに万博で実現できると思います。G20やG7などの国際会議とは異なり、万博は一般の人も出入りできるイベントなので、多くの人の役に立てるツールになると期待しています。
NDCグラフィックスさんをはじめ開発に携わっていただいた方々、ホテルや飲食事業者など共感して使ってくださっている方々の思いも含めて、万博を機にフードピクトをさらに発信し広めていきたいと改めて思いました。
取材日:2025年1月22日
取材場所:オンライン
インタビュアー・ライター:松岡真季(松岡企画)
編集:臼井綾香(SUICOU)、横山宗助(g)
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